悪性腫瘍とワルファリンを考える場合、血栓塞栓症の治療・予防、出血性合併症への対応、悪性腫瘍患者に由来する血液凝固能の変動、抗腫瘍用剤との薬物相互作用など、様々な視点での考察や臨床的な対応が必要とされる。
最近の研究にて、がん転移などのメカニズムに関する研究に大きな進展があり、ワルファリンががん転移を抑制する機序について解明される可能性がある。ワルファリンのがん転移への影響は、臨床応用早期の1960年代から50年以上議論されてきた課題である1-6)。
・悪性腫瘍での多くの課題
血栓塞栓症の治療・予防では、悪性腫瘍に伴う組織因子などに由来する血栓塞栓症、抗腫瘍用剤の副作用、術後、長期臥床などに伴う血栓塞栓症などが考慮される7)。出血性合併症への対応では、腫瘍崩壊、抗腫瘍剤の骨髄抑制による血小板減少など、血管新生阻害作用、そして抗血栓療法などに伴う出血性合併症が考慮される。また全身症状や摂食状況の変化に伴う血液凝固能の変動、フルオロウラシル系に代表される抗腫瘍用剤との薬物相互作用なども考えられる。
また、がん患者の生存率向上、がんサバイバーのQOL、新規治療の開発・治療の多様化などを背景とし、悪性腫瘍と循環器疾患を有する患者の母集団は増加している。両疾患の合併患者の臨床上の新たな課題を学際的に解決するため、Cardio-oncologyもしくはOnco-Cardiologyと称する新たな領域が形成されている。上記の課題についても取り上げられることが期待される。
・古くから知られている悪性腫瘍に対する作用
臨床応用早期の1960年代からワルファリンの悪性腫瘍に対する作用が示唆されてきた。がん転移を抑制する作用が基礎研究や一部の臨床研究1-6)から示唆されてきたが、悪性腫瘍におけるワルファリンの効果に関する臨床研究は限定的であり、十分な管理のもと評価されたものはない。当時、その機序についても、抗凝固作用で説明を試みるなど、十分な解明に至っていなかった。この当時までの状況は、Weitzら(2007)8)が総説として整理している。
・データベース研究でのがん発生率の検討
OBS Haalandら(2017)9)は、ノルウェー国内の複数の大規模データベースを用いたコホート研究にてワルファリンの使用とがんの発生率との関連を検討した。ワルファリン使用でがんの発生率が低く、心房細動患者のサブグループ解析でこの傾向が強かった。多数の異なる癌種を含む大規模コホートで相対リスクが低いことが観察された。これらの観察研究を補強するメカニズムの完全な解明にさらなる研究が必要である。
・期待されるがん転移などのメカニズムの解明
ワルファリンは、抗凝固作用とは別にGas6 (Growth Arrest-Specific 6)の活性化阻害を介して、がん化関連の膜受容体型チロシンキナーゼであるAxlの活性化を阻害することなど、複数の報告があり、がん転移などのメカニズムに関する研究で大きな進展を示しつつある。
AxlおよびMer(Mertkとも呼ばれている)は、活性化により腫瘍細胞の生存、増殖、移動および浸潤、血管新生および腫瘍-宿主相互作用を調節する受容体チロシンキナーゼのTAM(Tyro3-Axl-Mer)ファミリーに属する。TAMチロシンキナーゼ受容体は、癌治療の耐性にも関与すると考えられる。Axlを分子標的とする複数の抗腫瘍剤の開発が進められている10)。
AxlとMerの生理的リガンドがGas6であると考えられている。ワルファリンに代表されるビタミンK拮抗薬は、Gas6のGla化(Glaドメインのγ-カルボキシル化)を阻害することで、Gas6のリガンドとしての活性化を阻害する。一方、マウスでナチュラルキラー(NK)細胞において、ワルファリンはCbl-b/TAM系によるNK細胞の不活化作用を減弱し、腫瘍細胞に対する抗転移活性を増強する。また、また、抗凝固作用を示さない低用量のワルファリンの投与によりマウス個体における悪性黒色腫細胞株の肺転移が抑制された11)。
AxlとMerの活性化には、Gla化されたGas6が必要であるが、それ以外にフォスファチジルセリン陽性細胞あるいは小胞(例えばアポトーシス細胞、カルシウム誘導ストレス細胞、エキソソーム)からのフォスファチジルセリンも必要との報告がなされた12)。
以上のように、ワルファリンなどのビタミンK拮抗薬のがん転移への作用について、分子生物学的な解明が進み、説明されるようになってきている。
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・機序解明のポイントとなった報告
基礎研究 Paolinoら(2014) 11)は、E3リガーゼCbl-b(casitas B-lineage lymphoma-b)とTAM受容体はナチュラルキラー(NK)細胞を介して癌転移を調節することを報告した。がん転移は、がん患者の死亡の主要因であり、がん治療における重要な課題となっている。免疫系阻害経路を遮断する新たな治療法は、治療法の有効性に対する期待が再燃している。本研究では、E3ユビキチンリガーゼCbl-bの遺伝的欠損、あるいは Cbl-bのE3リガーゼ活性を標的とした不活性化によって、NK細胞が転移性腫瘍を自発的に排除できるようになることを示す。TAMチロシンキナーゼ受容体Tyro3、Axl、およびMerが、Cbl-bによるユビキチン化の基質であることが分かった。新たに開発された低分子TAMキナーゼ阻害剤での野生型NK細胞の処理は治療効果があることを示し、in vivoでNK細胞の抗転移活性が効率的に増強された。このTAM阻害剤の経口投与あるいは腹腔内投与によって、マウスの乳癌や黒色腫の転移がNK細胞依存的に顕著に減少した。さらに抗凝固剤ワルファリンは、マウスでNK細胞のCbl-b/TAM受容体を介して抗転移活性を発揮することが分かり、これによってがん生物学における50年来の謎を分子レベルで説明することができる。この新規のTAM/Cbl-b阻害経路は、がん転移を阻止する自然免疫系を呼び覚ます「薬」の開発の可能性を示している。
【参考文献】 [文献請求番号]
1)山下 喬ら: 治療, 65, 1419(1983) WF-0148
2)Zacharski L.R. et al.: Cancer , 44, 732(1979) WF-0189
3)Zacharski L.R. et al.: Cancer, 53, 2046(1984) WF-0216
4)小川 純一ら: 日本外科学会雑誌, 87, 697(1986) WF-0311
5)Aisner J. et al.: J.Clin.Oncol., 10, 1230(1992) WF-0687
6)Carpi A. et al.: Am.J.Clin.Oncol., 18, 15(1995) WF-0898
7)Johnson M.J. et al.: Clin.Oncol., 9, 294(1997) WF-3781
8)Weitz,I.C. et al.: Semin.Thromb.Hemost. , 33, 695(2007) WF-4550
9)Haaland G.S. et al.: JAMA Intern.Med., 177, 1774(2017) WF-4546
10)Schoumacher,M. et al.: Curr.Oncol.Rep., 19, 19(2017) ZZZ-0864
11)Paolino,M. et al.: Nature, 507, 508(2014) WF-4560
12)Geng,K. et al.: Front.Immunol., 8, 1521(2017) WF-4557
【更新年月】
2021年1月