1)1980-1990年代の臨床研究
1980年代から1990年代にかけて、人工弁置換術後の抗凝固療法による血栓塞栓症予防が一般的になり、抗血小板薬との併用療法の評価、人工弁の種類間、弁の置換部位間あるいは生体弁との比較や使用成績などが報告され、徐々に確立してきた。当時は弁の種類も徐々に二葉弁に移行する過渡期でもあり、抗凝固療法のINR強度の検討のデータは直接反映できないが、目標治療域の基本的な情報として参考となる。
RCT Saourら(1990)7)は、心臓弁置換(弁種は数種の混合)後の患者258例(うち11例は脱落)を無作為割付けにより、ワルファリンによる中等度抗凝固療法群(目標INR 2.65)と高度抗凝固療法群(目標INR 9)について1~5年間の抗凝固療法の効果を観察した。血栓塞栓症の発症は両群ほぼ同様であったが、出血性副作用の発現頻度は高度抗凝固療法群が高かった。
RCT Pengoら(1997)8)は、経口抗凝固療法導入の術後6ヵ月以上経過した患者を目標INR 3と目標INR 4に無作為割付して、至適INRを検討した。抗凝固薬はワルファリン、アセノクマロールで平均3年フォローアップした(抗血小板薬併用例は除外)。重大な出血事故は100患者・年当り、目標INR 3群で1.2件、目標INR 4群で3.8件であり、血栓塞栓症および血管性疾患死は100患者・年当り、目標INR 3群で各々1.8件、0.9件、目標INR 4群で各々2.1件、1.0件であった。
RCT AREVAでAcarら(1996)9)は、人工弁置換術(単弁置換例のみ)後の患者にて、アセノクマロールの目標INR2.0~3.0群188例、目標INR3.0~4.5群192例との無作為割付の比較試験で検討した。血栓塞栓症は100患者・年当りで目標INR2.0~3.0群3.1件、目標INR3.0~4.5群2.4件であった。出血事故/重大な出血事故は目標INR2.0~3.0の群で11.2/4.0件、目標INR3.0~4.5の群で20.5/5.6件であった。
2)St.Jude Medical (SJM)弁による人工弁置換術の代表的な臨床成績
人工弁の種類の中でも二葉弁が主流となり、St.Jude Medical(SJM)弁は人工弁として優れた特徴を有し代表的な弁として知られている。その成績を表 5.に血栓塞栓症、表 6.に大出血の発症率をまとめた。
OBS Baudet ら(1985)2)は、1978年から1983年の間に671例の患者にSJM弁による人工弁置換術を行い、2.5年間追跡調査を行った。抗凝固療法の未実施群78例と抗凝固療法を実施した群630例に層別し、弁血栓、全身性塞栓、死亡率を比較し、弁血栓、全身性塞栓は抗凝固療法の未実施群で有意に多いとの結果を示した。SJM弁は心臓弁置換に用いる機械弁として、血行動態、凝塊形成の点で優れているものの、抗凝固療法が必要と考えられた。
OBS Nakanoら(1994)1)は、SJM弁置換術後1,284例(6,255患者・年)について12年間の追跡調査を行い、手術死を含めた実際の12年後の生存率は、大動脈弁置換術で81.7%、僧帽弁置換術で87.1%であり、二弁置換術では82.6%であった。全例でワルファリンによる抗凝固療法をトロンボテスト10%~25%(推定INR 1.6~2.8)で管理し、血栓塞栓症1.47%/患者・年、抗凝固関連出血0.14%/患者・年であった。
OBS Nakanoら(1994)14)は、人工弁置換術後のワルファリン療法の治療域の設定について、術後合併症の頻度と血液凝固の点より検討した。SJM弁、BS弁、生体弁による単弁置換術1,554例を対象とし、トロンボテスト10~25% (INR 2.8~1.6)を治療域とした。術後血栓弁と血栓塞栓症の頻度は弁種によらず、欧米の報告と同様に低く、出血性合併症の頻度は欧米の報告より低かったことから、トロンボテスト10~25% (INR 2.8~1.6)が至適治療域と考えた。また、99例でトロンビン・アンチトロンビン複合体(TAT)、プロトロンビン・フラグメント1+2 (F1+2)をトロンボテスト、INRと同時に測定したところ、INR 3.0以上の患者ではTAT、F1+2とも正常であるのに対し、INR 2.8~1.6の患者の11%及び14%で、TAT、F1+2の高値を示した。
OBS Horstkotteら(1994)3)は、SJM弁の人工弁置換術後患者600例についてプロスペクティブな調査を実施し、INRで比較すると4群(4.0~6.0、3.0~4.5、2.5~3.5、1.75~2.75)に分けられた(すべてフェンプロクモンによる抗凝固療法)。SJM弁の血栓形成は低く、INRの低程度で許容でき、出血性合併症と血栓塞栓症の発現頻度から適切な治療域は大動脈弁でINR 2.7~2.8、僧帽弁でINR 2.9~3.1と推定された。
3)国内での遠隔期を含めた使用成績の報告
OBS Nakanoら (1994)1)は、St.Jude Medical弁(SJM弁)による人工弁置換術施行の患者1,284例について12年間の追跡調査を行った。手術死を含めた実際の12年後の生存率は、大動脈弁置換術で81.7%、僧帽弁置換術で87.1%であり、2弁置換術では82.6%(11年後)であった。再手術を受けなかった患者は大動脈弁置換術で99.5%、僧帽弁置換術で98.0%、2弁置換術では99.1%(11年後)であった。12年の追跡期間中、低用量ワルファリンによる抗凝固療法(INR 1.6-2.8)で弁は十分機能し、晩期合併症発現リスクも許容できる。
OBS Hayashiら(1994)15)は、ワルファリンと抗血小板剤併用療法の有効性と安全性を観察研究にて検討した。SJM弁置換を行った患者ワルファリン単独投与群125例とワルファリン+抗血小板剤併用群70例に分け、1980~1992年まで調査した。10年生存率は単独投与群90.3%、併用群98.3%であった。発作発生頻度は併用群の方が低く、出血の副作用も併用群では認められなかった。ワルファリンと抗血小板剤併用療法は有効かつ安全であると思われる。
OBS Aoyagiら(1994)16)は、SJM弁による弁置換術の長期成績として1978~1987年における1112例(計1244件)の経過を評価した。8,988患者・年の追跡期間において、晩期死亡の43%が弁関連であった。14年後の全生存率は68±6%であった。血栓形成性が低いこと、弁関連イベントと弁関連死が低率であることから、SJM弁はもっとも機能に優れた弁の1つである。
OBS 北村ら(1999)4)は、1995年1月~12月に二葉ディスク機械弁置換術を受けた261例で術後のワルファリン至適治療域をプロスペクティブな観察研究にて検討した。対象は14~88才(平均56才)の僧帽弁置換術126例、大動脈弁置換術95例、両弁置換術39例、三尖弁置換術1例で使用人工弁はSJM弁184例、Carbomedics弁77例であった。全体で3,521患者・月(平均13.5患者・月)のフォローアップを行った。術後早期死亡は7例(低心拍出量症候群3例、多臓器不全、重症感染症各2例)、遠隔期死亡は5例(多臓器不全2例、血栓塞栓症、原因不明の突然死、悪性腫瘍各1例)で実測生存率は術後18ヵ月で95.3%であった。術後遠隔期の弁関連イベントとして血栓塞栓症10例(3.29%/年)、出血5例(1.64%/年、内1例は脳出血)、再手術2例(0.65%/年)等が認められた。術後18ヵ月におけるイベント回避率は血栓塞栓症95.7%、再手術98.7%、全イベント88.9%であった。術後のINRは全体として1.2~3.0(5~95パーセンタイル)にコントロールされていた。血栓塞栓症の80%はINRが2.0未満の時期に発症し、出血性イベントはINRが比較的高い時期か抗血小板薬併用例にみられ、脳出血発現症例ではINR 3.0以上であったロジスティック回帰分析では、術後のイベントは心房細動を有する例で有意に多かった。二葉ディスク機械弁置換術後のINR 1.2~3.0、血栓塞栓症ハイリスク例では2.0~3.0が望ましいと思われた。
OBS Matsuyamaら(2002)17)は、機械弁による僧帽弁置換術(MVR)後の患者でワルファリンによるINRの程度と血栓塞栓性、出血性合併症の発症率を検討した。100患者・年あたりの死亡率は1.2例であった。脳梗塞は100患者・年あたり0.8件であり、末梢性の塞栓症、血栓弁は認めなかった。大出血は100患者・年あたり0.5件に発生した。INRは76%が目標域内、10%が目標域未満、14%が目標域超であった。147例では抗血小板薬が併用されていた。傾斜型弁使用と抗血小板薬非投与は血栓塞栓症に有意に関連する因子であった。大出血に有意に関連する因子は認めなかった。MVR施行例において、INR1.5~2.5は至適と思われた。
OBS Sogaら(2002)18)は、 CarboMedics弁による人工弁置換術後を最長8年間追跡した。術後は全例ワルファリン終生投与とした。院内死亡まで含めた弁関連死発生頻度は0.7%/患者・年であった。7年生存率は87.2%、弁関連死なしの患者の比率は7年で94.0%、全ての弁関連イベントなしの患者比率は7年で77.5%であった。血栓塞栓性イベントは28例30件認めたが、弁血栓はなかった。血栓塞栓性イベントなしの患者比率は7年で89.0%であった。出血性イベントは1.4/患者・年に認め、消化管出血が多かったが、脳出血6例(内5例は致死性)を認めた。出血性イベントなしの患者比率は7年で88.9%であった。CarboMedics弁置換は比較的弱い抗凝固療法でも良好な結果であった。
OBS Tominaga ら(2005)19)は、Carbomedics弁による人工弁置換術後の患者の長期転帰を検討した。院内死亡率はAVR群1.2%、MVR群3.6%、DVR群3.8%であった。晩期死亡はMVR群では3.1%/患者・年でAVR群の2.3%/患者・年、DVR群の1.8%/患者・年より有意に高率であった。Carbomedics弁は罹患率と死亡率に関して、他の機械弁と同等もしくはより良好な成績を示した。
OBS Sezai ら(2010)20)は、ATS弁による弁置換術施行患者の15年間(1993~2008年)の追跡結果を示した。術後ワルファリン、アスピリン、ジピリダモールによる抗血栓療法を実施した。手術死亡率は2.2%であった。術後血栓塞栓性イベントは0.44%/患者・年であり、出血性イベントは0.19%/患者・年であった。ATS弁では人工弁関連合併症は少なく、追跡結果は良好であった。
OBS Taniguchi ら(2012)21)は、ATS 弁による人工弁置換術後の臨床成績を検討した。術後は目標INR1.8~2.5でワルファリン療法を実施した。晩期死亡は27例で10年後の生存率は82.7%、弁関連非死亡率は92.2%であった。全晩期死亡を含む弁関連合併症発生率は2.19%/患者・年であった。血栓塞栓性イベント、大出血は各々1.22%/患者・年、0.87%/患者・年で血栓弁は0.09%/患者・年であった。ATS弁の血栓塞栓性・出血性イベント、弁血栓発生率は低いと思われた。
観察研究であるが、日本でも人工弁置換術後の遠隔成績がいくつか報告されている。日本での抗凝固療法の程度(INR)と弁の種類、弁の部位などを示す。
血栓塞栓症、大出血、頭蓋内出血、致死的出血のイベント発症率を示す。特に頭蓋内出血、致死的出血では、概ね0.1-0.4 %/年(100患者・年)と報告されている。
【参考文献】 [文献請求番号]
1)Nakano K et al.: Ann.Thorac.Surg., 57, 697(1994) WF-0917
2)Baudet E,M. et al.: J.Thorac.Cardiovasc.Surg., 90, 137(1985) WF-0936
3)Horstkotte D. et al.: J.Thorac.Cardiovasc.Surg., 107, 1136(1994) WF-0924
4)北村 昌也ら: 胸部外科, 52, 1001(1999) WF-2233
5)堀 正二ら: 【ダイジェスト版】循環器疾患における抗凝固・抗血小板療法に関するガイドライン(2009年改訂版), , 1 (2010) WF-4122
6)大北 裕 et al.: 【ダイジェスト版】弁膜疾患の非薬物治療に関するガイドライン(2012年改訂版), , 1 (2012) ZZZ-0835
7)Saour J.N. et al.: N.Engl.J.Med., 332, 428(1990) WF-0662
8)Pengo V. et al.: Thromb.Haemost., 77, 839(1997) WF-2009
9)Acar J. et al.: Circulation , 94, 2107(1996) WF-2111
10)Vogt S. et al.: Eur.Heart J. , 11, 583(1990) WF-1997
11)Butchart E.G. et al.: Circulation, 78, I-66(1988) WF-0509
12)Gossinger H. et al.: Thorac.Cardiovasc.Surg., 34, 283(1986) WF-1996
13)Vallejo J.L. et al.: Ann.Thorac.Surg., 50, 429(1990) WF-1998
14)中野 清治 ら: 人工臓器, 23, 602(1994) WF-0918
15)Hayashi J et al.: J.Am.Coll.Cardiol., 23, 672(1994) WF-0801
16)Aoyagi S et al.: J.Thorac.Cardiovasc.Surg. , 108, 1021(1994) WF-4218
17)Matsuyama K et al.: Circ.J., 66, 668(2002) WF-4214
18)Soga Y et al.: Ann.Thorac.Surg., 73, 474(2002) WF-4211
19)Tominaga R et al.: Ann.Thorac.Surg., 79, 784(2005) WF-4190
20)Sezai A et al.: J.Thorac.Cardiovasc.Surg. , 139, 1494(2010) WF-4219
21)Taniguchi S et al.: Gen.Thorac.Cardiovasc.Surg., 60, 561(2012) WF-4216